これブログに出すかどうかすごく迷ったんですが、もしかしたらこんなのでも誰かの役に立ったりするかもしれないと思い公開することにしました
先に言っておくと私は自殺に対して否定的ではありません
読み返したりして確認してはいますが、拙い文章であるためひょっとしたら誤解を招くような表現になっている可能性もあります
この記事中の内容に自殺を勧めるような意図は全くありませんのでご理解ください
あと自分の未遂行為についての内容も一応書いていますので苦手な方はご注意をお願いします
過去のこと
少し前の記事でもちょこっと話は出ていましたが、改めて書いていきます
まず、私は小さい頃から希死念慮がありました
いつ頃からかはもう思い出せないですが漠然と「死にたい」と考えるようになってました
友達も少ないけどいる、いじめられてたわけでもない、家族仲も普通(一時期の父母は良くなかったかもだけど)という感じで、特に思い当たる原因もなかったせいで対処もできないし相談するにもどう伝えればいいか分からない日々を過ごしてました
リストカット
そして初めて自殺未遂をしたのが確か中学生時代の秋頃だったと思います(何年生だったかまでは覚えてない…)
方法はリストカットでした
平日だったので学校に自分で休みの連絡を入れて、靴を隠して学校に行ったふりをして部屋に隠れて腕を切りました
…その後親に見つかってバレたんですけどね
今思えばリストカットで死ぬって相当深く切らないとダメだし痛いの苦手な私には到底無理な行為だったんですが…
人間追い詰められると視野が狭くなるというか、何故か当時の私はそれで死ねると本気で思い込んでました
使ったのが切れ味の悪いカッターで、何度も切って傷口を深くしようと試みたんですが先述の通り痛いのが苦手なのでなかなか思うようにいかず
切ってるうちに痛みでだんだん「なんでこんなことしてるんだろう…」と冷静になってきたころに発見されました
発見された後は傷口を手当されて、学校にも連絡されてしばらく休みました
家族からは心配されたし怒られました
…が、私は懲りずにその後も隙を見計らってリストカットを何回か続けました
ネットで見たうろ覚えの情報で「横じゃなくて縦に切る」というのを試したり、カッターを新品にしてみたり、お風呂場で切って流しっぱなしのお湯に腕を入れて血をたくさん出そうとしたりしました
何度も言いますがやってる最中の私は本当にそれでいけると思ってたんです
どうしても傷は目立っちゃうので毎回バレてその度に怒られましたが…
OD
何回も失敗してさすがにリストカットじゃ無理があるという考えに至った私は別の方法に変えることにしました
それがODでした
1回(実際は1回どころではないんだけど)失敗しているせいで、失敗した時どうするかというのも考えるようになりました
相変わらず思考回路が単純だったので「切った傷のせいでバレるなら傷ができない方法をやればいい」とか考えてました
死ぬつもりでやってるのに失敗した時のことを考えるなんて変な話ですけどね
1回目の未遂後から心療内科に通わされて色々薬をもらっていたのですが、その薬を毎日ちょっとずつ飲んだふりをして集めてました
後はネットで調べてODに使われるような市販薬などをお小遣いでこっそり買って、ある程度数が集まったところで夜中に実行に移しました
結果は、翌日数回吐いただけでした
かなりの量飲んだと思ったんですけどそうでもなかったみたいです
というか薬飲むのが下手で水たくさん飲んじゃうから勘違いしただけで実際は全然量少なかった可能性もある。さすがにそこまで覚えてないけど
痛みだけじゃなく吐くのも大嫌いなので結構な苦痛だったんですがとにかく失敗に終わりました
親には怪しまれはしたけど多分バレてなかったと思います
そして数日後、案の定懲りずにOD再挑戦して前回よりも薬の量増やしたんですけど2回目にして体が慣れたのか次は吐くことすらありませんでした
凍死自殺
これが私が明確に死のうと思って行動に移した最後の自殺未遂です
高校3年生頃の真冬日、家を飛び出してそのまま外で凍え死のうとしました
地元は海がかなり近い土地で冬は雪もすごいしめちゃくちゃ寒くなります
そんな中に薄着で突っ込めば今度こそ上手くいく!と考えたわけです
考えるまでもなくアホそのものな行動ですが本気でそう思ってました
現実はそう上手くはいかないんですけどね
そもそも海は危ないのでそんな簡単には入れないようになってます
なので最初のリストカットと同じく、途中で冷静になって思いとどまりました
…とまあ、ここまで長々と書いてきましたが私が未遂した大きな出来事は以上の3つですね
他にも首を吊ろうとしたり、飛び降りできそうな場所を探したりと色々あったんですが特筆するようなことは無いです
後悔してること
大した結果は残せてないくせに後悔してることはかなり多いです
後悔してると言っても結局は自業自得ですけど
あまりに多すぎて書ききれないので、特に後悔してるものをいくつか挙げることにします
腕の傷跡
まず1つ目はリストカットの傷跡です
もうすぐ10年ほど経過するくらいの年月が過ぎてますが、傷はくっきり残ってます
日によってはあんまり目立たない時もあるんですけどね
隠したりすると逆に目立つと思ってあえて何もしてませんが、採血なんかで腕を見せないといけない時はちょっと不安になるし、半袖になる夏は特に気になっちゃいます
もし誰かに傷について聞かれたらペットと遊んでてひっかかれたとか嘘をつこうと思ってます
…聞かれることは多分無いでしょうが
頑張れなくなった
2つ目は物事に対して頑張れなくなったことです
元々ネガティブ思考気味で「自分は何をやってもダメだ」という意識があったんですが、そこに「頑張ってもどうせ死んだら全部無駄になる」という考えが浮かんじゃうともう終わりです
努力する気持ちも起きないし、なんなら今ニートやってるのだって「働いてお金貰っても何になるの?」「何のために働いてるの?」という自分の中の問いに答えが出せなかったからだったりします
じゃあもう面倒事からは全部逃げちゃってもいいじゃんみたいな
死に対する考えのずれ
これは人によるだろうけど、私にとっては大きい事なんです
例えば「橋の上から飛び降りようとしていた人を助けて表彰された」みたいなニュースを見た時、それがイイ話、美談みたいになるのが理解できません
「助けられた人のその後の人生のこと考えてないじゃん」っていう発想になっちゃうわけです
なんでその人がそんな行動に出ようとしたのかとか、その人がどんな覚悟で死のうとしたのかとか、そういうの全部無視して「自殺を止めた!偉い!」みたいな話でまとめられるのが嫌だし綺麗ごとにしか思えません
私はたとえ家族だったとしても本人が考えて決めた結論ならそれを受け入れます
もちろん悲しいですが、誰にも止める権利なんてないんです
でも世の中の多数の人は死ぬのをタブー視してて
死にたい気持ちがある人が悩んじゃうのって、周りの人の「死ぬのは絶対悪」みたいな圧力のせいでもあると思うんですけど
そういうのを分かってくれる相手がいないから余計自分だけで悩むしかなくて…っていう悪循環になるというか
こういった死生観のずれは、一度自殺を考えたらもう元には戻せなくなります
少なくとも私はもう無理です
何をするにしても選択肢に「死」が入ってくるし、人が死のうとしているのを止める行為に対していい感情を持つことはできません
良かったこともある
実はほんのちょっとだけ、良かったこともあったりするんです
それは「どうせいつでも死ねるんだから後でもいいや」っていう逃げ道ができるようになったことです
私の場合、どうしようもなく死にたい気持ちになった時って、やらなきゃいけないことが何もできてない罪悪感とかが色々生まれてきてさらに落ち込んだりもします
そういうときに「本当にどうしようもなくなったら死ねばいいや。だから今日はもう諦めて美味しいもの食べてアニメでも見よう」って感じで考えるのをやめて好きに過ごすことにしてます
そしたらそのうち落ち着きを取り戻して、「なんか調子良さそうだから後回しにしてたことやろう」みたいに考えられるようになります
諸刃の剣ですね
選択肢の中に「死ぬ」があるからこそできることですから
これはあくまで私の場合だししかもニートだからできることであって、学校や仕事じゃそんな簡単な話ではないでしょうけど…ようは考え方の問題ってことが伝わってくれればいいです
現在
正直、今でも死ぬのを完璧に諦めたわけではありません
例えば実弾入りの銃でも拾ったりしたら衝動的にやっちゃうかもしれません
そんなの普通に考えて今の日本じゃほぼ起こりえないでしょうけど…
ただ、もう未遂はするつもりはないです
これまで散々考えてきて、今のところ私の中で一番しっくり来てる結論は「本当は死にたいわけじゃない」ということですね
だってその気になればいつだって死ねるのにそうしないのは変じゃないですか?
ただちょっと一時的に、疲れた状態・生きるのが辛い状態になっちゃうだけで、時間をかけてちゃんと休めばそのうちまた元気になれるものだと思うことにしました
疲れやすさや元気になるまでに必要な時間は人それぞれで、過去の私は心の休みを取るのが下手だったんだと思います
今でも突発的に死にたくはなりますが、それも含めて自分なんだと受け入れられるように努力している途中です
まだ精神面で人に頼るのは苦手だけど、自分一人で抱え込んで結果爆発するなんていう事態はもう起こさないように頑張ってます
おわり!
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